かつてイギリスの流刑地で世界遺産「囚人遺跡群」があるノーフォークに行ってみた

オーストラリア領でありながら、2016年7月まで自治政府を持っていたノーフォークは、手付かずの自然や美しい風景が広がり、年に2万人以上が訪れる観光地です。一見すると、かつて流刑地だったなんて信じられません。映画「バウンティ号の反乱」の舞台となり一躍有名になったとは言え、日本ではあまり知られていないノーフォークの魅力を探ってきました。ノーフォークに割り当てられているccTLD(国別コードトップレベルドメイン)は「.nf」です。

◆ノーフォークはどこにあるのか?

オーストラリアの東、南緯29度02分、東経167度57分に位置する島。オーストラリアとニューカレドニアとニュージーランドの間にあります。1774年、クック船長(ジェームズ・クック)がノーフォーク島を発見して、ノーフォーク公爵の名に因んでノーフォークと命名しました。島の面積は面積34.6km2、人口は2,210人(2014年調べ)。使用されている通貨はAUD(オーストラリアドル、1AUD=約94円※)です。ノーフォークはアメリカ合衆国バージニア州南東部に位置する都市イングランドの東部にある地名でもあります。
※2023年6月時点。

= 目次 =

◆クリスマスツリーにもなるノーフォーク松

◆世界にひとつだけの「ニックネームの電話帳」などがある超マニアックな博物館

◆世界遺産に登録されたオーストラリア囚人遺跡

◆ノーフォークの料理

◆絶景穴場ビーチを目指して20分のハイキング

◆大量の緑色の手形に込められたメッセージ~ノーフォークいろいろ~

◆街で見かけた.nfドメイン

◆現地でのSIM購入&速度調査~ノーフォーク編~

 


クリスマスツリーにもなるノーフォーク松

ノーフォーク松は島の象徴とも言えるノーフォーク固有の常緑高木です。国旗にも描かれています。

我々は、オーストラリアのブリスベン空港からノーフォークへ向かいました。所要時間は約2時間。島に着陸する直前、飛行機の窓から多くのノーフォーク松を見ることができます。

ノーフォークアイランド国際空港に到着。空港スタッフ以外、ほとんど人はいません。

まるでコテージのような小さな空港です。

空港の周りにも多くのノーフォーク松があります。ノーフォーク松は針葉樹特有の円錐形の美しい樹形をつくる事から、クリスマスツリーとして利用されたり、針葉樹の中では珍しく観葉植物としても親しまれています。

近くで見ると、その大きさに圧倒されます。樹木の高さは大きいもので60m。地上20階建のビルの高さです。

至るところでノーフォーク松を見ることができますが、島で最も有名なノーフォーク松は、観光ガイドブック等に掲載されている「Lone Pine」 (孤独な一本松)です。長い年月を生き抜き、現在は地元のランドマークとして世界遺産地区内のポイントハンターにポツンと立つ姿が目立っています。

エミリー湾からみると、孤独な木であることがよくわかりますね。

エミリー湾は海水浴も楽しめます。

 


◆世界にひとつだけの「ニックネームの電話帳」などがある超マニアックな博物館

ノーフォークの歴史を知ることができるバウンティミュージアムに行ってみましょう。キングストンの観光インフォメーションセンターから車で約5分のところにありました。

開館時間は毎日午前10時から午後4時まで。閉館日はありません。1788年まで遡る歴史と様々なコレクションが5つの部屋で展示されています。

入館料は15 AUD(約1,410円)。旅行期間中は何度でも再入館可能です。WiFiも利用できます。

入館料を支払うと、ミュージアムのスタッフが簡単に館内を説明。続いて、ピトケアン諸島の国旗を手に取り、1856年にバウンティ号の反乱者の子孫がピトケアン島から移り住んで、それ以来ピトケアン島民がノーフォーク島の主要な定住者となったことを教えてくれました。

バウンティミュージアムはFM局も運営しています。

館内に入ります。すごい!予想をはるかに超える広さと展示品の多さに驚きました!

1回の訪問では、とても全てを見ることはできません。だから再入館可能なのですね。

バウンティ号の反乱で有名なバウンティ号の模型やバウンティ号に関連する資料やコレクションが多く展示されています。

1780年代後半、イギリスは囚人を国外流刑にする政策を講じ、オーストラリアやノーフォークなどを流刑地としました。ノーフォークでも多くの刑務所や囚人バラックが建設されたのです。当時の囚人が非道な扱いを受けていたことを再現しています。

囚人は男性だけではありません。女性や子供もいました。中にはオーストラリアの先住民アボリジニも含まれており、強制的に苛酷な労働を強いられたのです。囚人たちが繋がれていた鎖を手に取ることもできます。

囚人に課せられた厳しい罰則規定がありました。

  • パイプを持っていた
  • 歩く速度が遅かった
  • 点呼時に靴紐を結んでいた
  • 石を積んだ台車を十分に押さなかった
  • タバコを持っていた – その後、不平を言ったために口を塞がれた
  • 看守にタバコをねだった
  • 鳥を飼いならしていた
  • 鎖につながれているときに「Oh My God」と言った
  • 鎖につながれているときに笑った
  • 古いズボンから糸くずが出ていた
  • 刑務所の中庭を横切って問い合わせをした
  • 歌を歌った

これらの違反行為には、50回以上の鞭打ちや10日間の投獄という罰が与えられ、場合によっては、立つスペースしかない独房に13人の囚人と一緒に閉じ込められることもあったそうです。

捕鯨に使われていた道具や当時の写真なども展示されていました。

島でかつて使われたオーディオ機器やカメラなどの展示ブース。

SONYのラジオを発見。保存状態が良いですね。

この古い映画撮影用カメラは、何度もピトケアン島で使用されました。

電話帳です。Beef(肉)、Cane Toad(オオヒキガエル)、Carrots(人参)、Dar Bizziebee(働きバチのように超忙しい人)、Duck(アヒル)、Grin Lettuce Leaf(レタスの葉)、Moose(ヘラジカ)、Moonie(ムーニー)、Onion(玉ねぎ)、Hunky and Boo(ハンキーとブー)などの名前の横に電話番号が掲載されています。

実はこれ、世界に一つだけの”島民のニックネームが記載された電話帳”でした。ニックネームは知ってるけど、本名は知らないケースが多いかもしれません。

島民なら思わず笑ってしまいそうなノーフォークあるある。

  1. ノーフォーク島はニューサウスウェールズ州の郵便番号2899を持っていますが、ニューサウスウェールズ州の一部ではありません。
  2. ノーフォーク島はキャンベラの選挙区であるビーンで投票しますが、オーストラリア首都特別地域の一部ではありません。
  3. ノーフォーク島の医療と教育はクイーンズランド州が提供していますが、クイーンズランド州の一部ではありません。
  4. ノーフォーク島のテレビ局はアリス・スプリングスから放送されていますが、北部準州の一部ではありません。
  5. ノーフォーク島の電話国コードは672(南極)ですが、南極の一部ではありません。
  6. ノーフォーク島はオーストラリアの外部領土ですが、オーストラリアとの直接的な船便サービスはありません。
  7. ノーフォーク島の公式航空会社は、オーストラリア登録のフラグキャリアであるカンタスではなく、エア・ニュージーランドです。

博物館を出ると、先ほどは居なかった牛の親子に遭遇。子牛がミルクを一生懸命飲んでいました。お母さんのように大きくなってね。


世界遺産に登録されたオーストラリア囚人遺跡

キングストンとアーサーズ・ヴェール歴史地区(KAVHA)は、1788年から1855年までの東部オーストラリアへの移送時代を通じた囚人の集落で、2010年7月31日に登録された世界遺産のオーストラリア囚人遺跡群を構成する11箇所の中の一つです。登録されている地区の面積は225ヘクタール。なんと、東京ドーム約48個分です。

進んで行くと「The R.E.O」という無料の小さな資料館があります。入ってみましょう。

囚人遺跡の歴史に関する資料が展示されています。

とても広い歴史地区内には、様々なノーフォーク島ミュージアムが点在していました。我々は利用していませんが、各ミュージアムを巡るバスツアーもあります。

刑務所複合施設跡です。

ここには、1829年ごろに建築が開始され1835年に建築が完了した3階建ての建築物があり、973人ほどの囚人が居住していました。

世界遺産に登録されていることもあり、ゴミなど全く落ちていません。地区全体の管理が行き届いている印象を受けました。緑色の小屋は公共のトイレです。

少し小高い丘にある展望台1974年2月11日、ノーフォークを訪問したエリザベス2世がこの場所を訪れました。

近くには、島の観光産業の発展に貢献した実業家で、2009年に亡くなられたイアン・ケニー氏を追悼するベンチがありました。

 


◆ノーフォークの料理

・Bounty Bar & Grill

滞在していたホテルのスタッフに美味しいレストランを尋ねると、Bounty Bar & Grillがイチ押しとのこと。さっそく予約もしてもらいました。こちらのスタッフはロシア出身でノーフォークの生活の方が長いそうです。

もう辺りはすっかり真っ暗。街灯が少ないので少しわかりづらかったですが、お店に到着。

1900年代初頭に建てられた店内は非常に落ち着いた雰囲気。

アンティークな家具が目を引きます。

地元の食材をふんだんに使用したステーキとグリルフィッシュを頼みました。オーナーのおすすめです。ステーキは大きなバターが乗っていました。

食後にはアイリッシュコーヒーやデザートを注文。料理は美味しいし、居心地の良いレストランでした。

快く写真撮影に応じてくれるフレンドリーなオーナー。

会計を済ませてお店を出ようとすると、オーナーが「キッチンもぜひ見ていって」とのことで、キッチンを拝見。フィジー諸島出身の明るいシェフ達が我々を歓迎してくれました。

 

・The Olive Cafe

The Olive Cafe」で朝食をいただきました。

店内に入るとすぐに本日のスペシャルメニューが目に入ります。

我々が入店した時は空いていましたが、時間が経つにつれて地元の方々や観光客で、どんどん席が埋まっていきます。

雑貨などを販売するコーナーもありました。

とってもお洒落なカフェです。

ビッグブレックファースト(28AUD、約2,632円)などを注文。ボリュームたっぷりです。

 

チャイ(6AUD、約564円/1杯)はアートが施されていました。

地元の新聞「The Norfolk ISLAMDER」を自由に読むことができます。

ペンシルパズルゲーム「数独」も置いてありました。

 

・Hilli restaurant cafe

Hilli restaurant cafe」はアートギャラリーなども併設されている比較的新しいお店。

ランチメニューはどれも美味しそうでかなり迷います。

結局、プレートランチを頼むことにしました。こちらはシーフードクレープ(26AUD、約2,632円)。

 

ハンバーガー(27AUD、約2,538円)は大きくて肉厚。店名にある「Hilli」とはノーフォーク語で眠気や怠惰な感じを表す言葉。つまり「お腹いっぱい食べてリラックスできるカフェレストラン」です。まさに名前の通りでした。

 


◆絶景穴場ビーチを目指して20分のハイキング

絶景の穴場スポットと言われるビーチがあるアンソン湾。湾に到着してわかったのですが、どうやらビーチは崖の下にあるようです。歩く以外に手段はありません。日没間近なので、さっそく行ってみましょう。

 

看板を頼りに下りていきます。

傾斜を緩やかにするために、道が相当曲がりくねっています。下りは比較的楽です。登るのは大変そうなので、帰りのことは考えないようにします。

崖崩れにより、これより先は通行止め。やや傾斜がついた別のルートで進みます。

山肌がむき出しの道を進みます。

ビーチが近づいてきました。でも、まだ距離があります。。。

休憩用ベンチで一休み。

ようやく辿り着きました!旅行者からは「このビーチのサンセットは最高!」と言われるほど、とても人気のある場所です。しかし、この日は我々以外に誰もいませんでした。

 


◆大量の緑色の手形に込められたメッセージ~ノーフォークいろいろ~

滞在したアロハアパートメントはキッチンなどもついている長期滞在者向けの宿泊施設。キッチンには必要な食器や調理器具も揃っていました。島にはこのようなタイプの宿泊施設が多くあります。

リビングルームです。

寝室です。リビングルーム同様、エアコンはありません。

なぜエアコンが無いのでしょうか?施設の案内によると、ノーフォークではエアコンを設置することが許可されていないのです。島で最も暑い2月の平均最高気温は25度、最も寒い8月の平均最低気温は15度。確かにエアコンが無くても過ごせそうです。我々は窓を一箇所開けたままで就寝してしまい、とても寒い思いをしました。

キングストンの街を散策中、ジャズバンドのライブに遭遇。

今回の調査はレンタカーを借りて実施しました。宿泊先のアロハアパートメントと同じ系列のアロハレンタカーから手配。手続きの際に国際免許証は不要で、日本の運転免許証のみでOK。料金は225AUD(約21,150円/1日)でした。

車の返却場所も自由に選べます。我々は空港の駐車場に返却することにしました。アロハアパートメントは部屋それぞれに駐車スペースがついているのでとても便利でした。

車を運転する際は、牛に気を付けなければいけません。牛が横切るのを待っている車を見かけました。

牛の侵入を防ぐ工夫をしている建物もあります。

島の至る所で牛が放し飼いにされていました。ノーフォークは日本と同じ左側通行です。もし運転する機会があったら、のんびり走ってくださいね。

ショッピングモール「Norfolk Mall」の近くで大量の手形を発見。もの凄い数です。

よく見ると緑色の手形と人名が書いてあります。何でしょうか?

これらは「民主主義のために手を挙げよう」という、オーストラリアの支配に抵抗する活動の一つで、自治への回帰を象徴的に呼びかけています。

 


 ◆街で見かけた.nfドメイン

残念ながら「.nf」ドメインを、あまり見かけませんでした。地元のアーティストで運営する宝石等をデザインする会社。メールアドレスに「.nf」を使用。

ベーカリーショップの営業車。

 


◆現地でのSIM購入&速度調査~ノーフォーク編~

ノーフォークではオーストラリア本土でのSIMカードは使うことができないため、現地でSIMカードの調達が必要です。通信事業会社はNORFOLK TELECOMのみとなります。あらかじめ調べておいたNORFOLK TELECOMの店舗(9 New Cascade Roadの近く)に行ってみるとBicentennial Complex(観光インフォメーションセンターの近く)に移転したことが判明。

観光インフォメーションセンターに到着。近くにNORFOLK TELECOMらしき店舗は見当たりません。とりあえずセンターの隣にある緑色の建物に入ってみると、この建物が移転したNORFOLK TELECOMの店舗でした。

旅行者向けのSIMカードプランは1つのみ。シンプルです。料金は30 AUD(約2,820円)、うち10 AUD(約940円)はSIMカードの値段となっています。データは2GBで、有効期限は21日間。

観光インフォメーションセンターの近くで測定したところ6.2Mbpsでした。海外に行く予定のある方は、「2023年、最強の海外用eSIMはUbigi!」を参考にしてください。

 


■今回訪れた場所

■ノーフォークまでのアクセスはこちら

 

■「.nf」ドメインの詳細はこちら

■「.com.nf」ドメインの詳細はこちら

■「.info.nf」ドメインの詳細はこちら

■「.net.nf」ドメインの詳細はこちら

■「.web.nr」ドメインの詳細はこちら

日本人観光客が3人しか行かない、Twitterで話題の世界一贅沢な国だったナウルに行ってみた

Twitterでナウル共和国政府観光局の公式アカウント(フォロワー数47万人以上※)を見たことがある方は、ナウル共和国(以下ナウル)という国をご存知かもしれません。ナウルは1980年代にリン鉱石の輸出で得た莫大な収入によって医療費、学費、水道や光熱費、税金までも無料になりました。更に国は生活費を支給し、新婚には一軒家まで贈呈。リン鉱石採掘作業も全て外国人労働者に任せて、国民は働かなくても生きていける“太平洋地域で最も高い生活水準”を約30年間を有していました。しかし、リン鉱石の枯渇によって政府は深刻な財政危機に陥り、2003年2月には電話通信ネットワークの故障などで外部との交信が遮断され孤立化してしまい、ナウルは消滅してしまったのでは?等の噂が溢れ、ネット上で話題になりました。公式アカウントによると2019年の日本人観光客はわずか3名。そんなナウルにドメイン探検隊3名が行ってみました。ナウルに割り当てられているccTLD(国別コードトップレベルドメイン)は「.nr」です。
※2023年7月19日現在

◆ナウルはどこにあるのか?

ナウルは、東京とオークランド(ニュージランド)のほぼ中間である東経166度、赤道の南42kmの位置にあります。国土面積約21.1㎢(東京都品川区とほぼ同じ)、一周約16kmで、バチカン市国、モナコ王国に次いで世界で3番目に面積の小さな独立国家です。主に英語(公用語)とナウル語が使われています。人口は1.2万人(2021年発表)。日本との時差は+3時間。使用されている通貨は豪ドル (1豪ドル=約95円※)です。
※2023年6月時点。

= 目次 =

◆ビザが無いと入国できないナウルに行く

◆高級リゾートホテルがありそうな場所にある国営ホテル

◆島唯一の湖と刑務所の廃墟

◆超美人なミスナウルの親戚は大阪に住んでいた

◆ナウルの料理~ナウルの食事事情~

◆日本の運転免許証で車を運転してみた

◆クレジットカードが使えるようになったナウル~ナウルいろいろ~

◆街で見かけた.nrドメイン

◆現地SIM速度調査~ナウル編~

 


◆ビザが無いと入国できないナウルに行く

航空券を手配している時に念のため詳細を確認すると、ナウルに入国するにはビザが必要だったのです。日本人が入国する際にビザを必要とする国は少ないので、特に気にしていませんでした。早速、ナウル政府の公式サイトに問い合わせをしましたが、リターンメールとなってしまいます。このままではナウルに行くことはできません。わらにもすがる思いで、ナウル航空の担当者やツイッターアカウント「ナウル共和国政府観光局(公式)」の中の人に相談したところ、両者から直接担当者に連絡を取ってもらうことになりました。数日後、IIS7(Internet Information Service)のCramer Cain氏からビザ取得に関する詳細が英文で届きました。Eチケットやパスポートのコピー、滞在先のホテルバウチャーなどがビザ取得に必要であることが判明。詳細はこちらをご覧ください。

無事入国ビザを取得しました。ナウルへ出発です。日本からナウルへの直行便は現在ありません。ブリスベンからの直行便が一般的です。我々もブリスベンからナウル航空を利用してナウルを目指しました。誰もいないだろうと思っていたチェックインカウンターには、意外と人が並んでいます。

搭乗口は85番ゲート。

機内は空いています。おそらくナウル語であろう会話が聞きこえてきました。

ブリスベンから約4時間半のフライトでしたが、機内食も出ました。

着陸前にナウルを発見。飛行機の窓に収まるくらい小さな島国であることがわかります。

18時半ごろにナウルに到着。あたりはやや暗くなっていました。

ナウル航空の新しいデザインの機体もありました。

空港は非常に小さな建物で右側には飛行機を見物したり、出迎えの人が集まることができるスペースになっています。

観光客は我々を含め、4~5組しかいないような状況でした。

到着ゲートを通過するとすぐに外国人専用のレーンがあるのでそこで入国手続きを待ちます。

入国手続きを済ませ、出口を出たすぐ右側にあるDigicelでSIMカードを購入します。ナウルではDigicelが島唯一の通信事業会社。ホテルにはWiFiがない場合があるのでこちらで購入しておくことをおすすめします。


◆高級リゾートホテルがありそうな場所にある国営ホテル

滞在先のナウル唯一の国営ホテル、Menen  Hotel(以下メネンホテル)に向かいます。空港からはホテルの送迎車で他の宿泊客と一緒にホテルまで移動します。

空港から約10分ほどでホテルに到着。

メネンホテルではSIMカードを販売していました。

台湾からの太陽光発電の寄付などを示すプレートを発見。

部屋は至ってシンプル。部屋によっては海側に面してなかったり、テレビがない場合があります。ドライヤーは部屋にありません。フロントに頼んでも貸し出しは無いのでご注意ください。

ホテルから徒歩数分の所にあるミニスーパーマーケット「Abundance」に行ってみます。

商品の多くはオーストラリアから輸入品のようです。

日本語で書かれたカップラーメンもありました。

ホテルに戻るとテラスとバーで地元のパーティーのようなものが開催されていました。

そして夜通し音楽が鳴っていました。

朝、目を覚まして辺りを散策すると、メネンホテルは高級リゾートホテルがあってもおかしくない場所にある国営ホテルだということがわかりました。

ホテルからすぐの所にある、こんな素敵な海岸を散歩することもできるんです。


◆島唯一の湖と刑務所の廃墟

ホテルのカウンターに島を案内してくれるガイドツアーをお願いしました。ナウル一周ツアーは、メネンホテルを北上して島を一周できる道路を反時計回りに進みます。

引用元:ナウルガイドブック(国際機関太平洋諸島センター)

アニバレ湾付近に第ニ次世界大戦中に旧日本軍が作ったバンカー(トーチカ)がありました。島の至る所にこのようなバンカーがあります。以前は木でバンカーが覆われており、外からは見えにくい場所に設置されていたそうです。

バンカーとは、軍用機などの装備・物資や人員を、砲爆撃など敵の攻撃から守るために山に掘った横穴や、コンクリートなどで造った横穴状の施設のことで、日本では掩体壕(えんたいごう)とも呼ばれています。

メネンホテルと反対側にあるエワ地区に入ると、第二次世界大戦記念碑がリン鉱石施設の近くにありました。

石畳をナウルの島をイメージした形の場所もありました。

リン鉱石施設には、島の中央部で採掘した資源を貨物船に積載するカンチレバーと呼ばれる延長ブリッジが設置されいます。ナウルは遠浅のため大型船が接岸できないため使用されます。ガイドさん曰く、稼働時には周囲に多くのほこりが飛散するそうです。

内陸に向かって車で5分程度行くと、ヤシなどの木々に囲まれたが見えてきました。

ナウルで最大かつ唯一の湖、ブアダラグーンです。水面が鏡のように反射して綺麗です。この湖は、海や川などの他の水域への流出がない内透湖に分類されます。ナウルでは淡水は稀で、この国には川や小川がまったくありません。

続いて向かったのは、ブアダラグーン近くにある旧日本軍占領時代の刑務所跡。我々が見る限りでは、目印になるようなものはありません。

古いトロッコのレールを通り過ぎ、大きな岩の間を進んで行くと刑務所の入口が現れました。

どんどん奥に進みます。

岩陰の合間に囚人を収容するための部屋が出てきました。建物というよりは岩間を利用して作られた小さな牢屋という印象です。

一番奥にあった他よりも頑丈そうな小屋。

重い罪を犯した、あるいは凶悪な受刑者用だったのかもしれません。刑務所跡は放置された状態なので、風化が激しいように見えました。


超美人なミスナウルの親戚は大阪に住んでいた

ナウル一周ツアーはまだまだ続きます。刑務所跡を出た我々は、ピナクルと呼ばれる石灰柱の近くの道を進みます。この辺りは島で最も標高の高いところです。途中、いくつものバンカーを見ました。

さらに進むと、旧日本軍が第ニ次世界大戦中に使用した高射砲が、そのまま残っていました。全体に赤く錆びています。

高射砲の近くにあった穴。射撃するスペースに入るための通路になっています。

次に向かったのはシビックセンター(市民センター)です。

近くの室内運動場のような施設で「NAURU  TOURISM  EXPO」というイベントを開催していました。

マグカップなど、ナウルに関連したお土産を販売するブース。

そして、なんとミスナウルのアレクサンドラ・ピッチャーさん(Alexandra Pitcher)もイベントに来ていたのです!

どこかで見たことがあると思ったらDigicelの広告に出演されていました。

思い切って話しかけてみると、「私の親戚は大阪に住んでいるので、いつか日本にも行ってみたいんです」と教えてくれました。とても親切で上品な、まさにミスにふさわしい方でした。

引用元:LOOP

ブリスベンからの移動で利用したナウル航空のブースもありました。

日本から来たことを伝えると、ナウル航空はかつて鹿児島や沖縄など、日本からの直行便が存在していたことを教えてくれました。スタッフの皆さんはとても親切で、どんな質問にも笑顔で答えてくれました。

シビックセンターの近くにあるナウル国立博物館に行ってみます。入館料は無料。

島内にある旧日本軍により設置された大砲の場所がひと目でわかる立体模型。該当箇所は赤いマークで表示されています。

ナウルの歴史や旧日本軍により占領されていた時代の写真や残された物などが数多く展示されています。

零戦の残骸。

使用された爆弾も展示されていました。

日本製の刀や日本のビール瓶の展示もあります。

島を案内してくれたカイコさんです。ナウル一周ツアーは2〜3時間ほどでしたが、行きたい場所もリクエストできる柔軟でユニークなガイドさんでした。


◆ナウルの料理~ナウルの食事事情~

お腹が空いたので、カイコさんおすすめのレストラン「The  Bay Restaurant」へ。カイコさんによるとナウルでナンバーワンのレストランということで、外観や中も非常におしゃれ。

奥に入ると緑に囲まれた落ち着いたスペースで食事ができます。

ドメイン島巡りでは、島にある和食レストランを訪れることもミッションにしていますが、ナウルには和食レストランも和食メニューもありません。

注文したのは、ステーキサンドウィッチ。

炒め物とマグロのお刺身。「おてもと」の割り箸もついていました。

フィッシュ&チップス、以上の4品を頼みました。料金は全部で約54豪ドル(約5,130円)。どの料理も日本人の口に合います。チップスは、さつまいものような甘い味でした。

メネンホテルでの夕食。アジアのシェフが料理しているので味付けが絶妙でとても美味しい!ドリンクも含めた全7品で約87豪ドル(約8,260円)でした。

朝食は機械トラブルの影響で、提供されませんでした。

エワ地区の大きなスーパーマーケットの近くにあるTropicana Caféに、デザートを食べに行きました。

注文したのはアイスティー(1豪ドル、95円)とアイスコーヒー(2豪ドル、190円)。

そして、ソフトクリーム(1豪ドル、95円)です。アイスティーとアイスコーヒーは、成分などが表示されたラベルは無いものの、しっかりと包装されて安心して飲むことができました。味はやや甘さが強めです。ソフトクリームはミルキーな味でした。


◆日本の運転免許証で車を運転してみた

現地のレンタカー会社より、日本の運転免許証があれば島で車を運転することに問題がないことを事前に確認していました。

島のメインとなる1本しかない道路を走っていると、検問を受けました。警察官による免許証の確認です。道が1本しかないので、同じ場所で計3回の検問を受けました。通過する時間帯が異なるので、3回とも別の警察官がチェックします。検問の際は、日本の免許証を提示して有効期限がいつなのかを英語で説明して、問題ありませんでした。警察官は高圧的な態度でなく、親切に笑顔で対応してくれました。ナウルでの車の運転は国際免許を取得する必要はありませんが、もし運転免許証の有効期限が切れていたり不備があると、24時間拘束される可能性があるのでご注意ください。

ナウルでは日本から寄付された車が活躍しています。消防署で日本の国旗が貼ってある消防車を発見。

調べてみると、日本外交協会を通じて神奈川県伊勢原市から提供されていました。
こちらは、水槽付消防ポンプ自動車(寄贈部分は旧ぞうさん号の水槽部分のみ)

埼玉県川口市から提供された救急車。廃車にする予定でしたが、救急車や消防車が不足しているナウルに寄贈されました。

佐々木工務店の軽トラック。

「tas-auto.jp」のロゴが入った車。ナウルは信号がないので、歩行者は道路を横断する際は注意が必要です。


◆クレジットカードが使えるようになったナウル
~ナウルいろいろ~

現在、ナウルは台湾との国交を樹立しており、メネンホテルで見かけたような友好関係を示すようなものを見ることができます。

ガイドのカイコさんからも台湾からの人々が電気や道路の舗装などインフラ整備の工事に訪れて、しばらく滞在するケースも多いことを教えてもらいました。ナウルは2002年7月に台湾との外交関係を断交し、中国との国交を樹立。その後2005年5月に台湾との国交を再度樹立した経緯から、今後の関係は変わるかもしれません。

ちなみに、スーパーマーケットで使用されていた勤怠管理用タイムカードの打刻機は台湾製でした。

街では多くの野犬や放し飼いにされている犬を見ました。

首輪を付けたおとなしそうな犬もいますが、無暗に近づかない方が良いでしょう。

事前調査では、ATMはほとんどなく、クレジットカードが全く使えないということでした。しかし、実際に来てみると街の人が集まる場所には少なくとも2つほどATM(メネンホテルとエワの大きなスーパーマーケット)がありました。2016年からオーストラリアのBendigo  Bankがナウルでも事業を開始した影響です。

比較的新しいレストランやカフェではクレジットカードの支払いも可能なところが多く、様々な決済に対応しているカフェもありました。

ナウルは、“アホウドリの糞でできた島”として有名です。カイコさんに聞いてみると、地元の人も当然知っている紛れもない事実でした。蓄積されたアホウドリの糞で島ができて、その糞が年月を経てとリン鉱石というとても貴重な肥料の原料になりました。一時はリン鉱石の枯渇によって政府は深刻な財政危機に陥りましたが、2004年からリン鉱石の2次採掘が開始され、ナウルの主要産業となっています。


◆街で見かけた.nrドメイン

郵便局のメールアドレスに使われていました。

トヨタ自動車の広告にも使われていました。残念ながら多くの.nrドメインを見つけることができませんでした。街では見かけていないですが、.nrドメインが使われているものとしてはナウル政府の公式サイトなどがあります。


◆現地でのSIM購入&速度調査~ナウル編~

空港にて購入したDigicel社のSIM(2GB、31.5豪ドル(約3,000円))を使って速度を測定してみました。メネンホテル近くで測定したところ360Kbpsでした。海外に行く予定のある方は、「2023年、最強の海外用eSIMはUbigi!」をご参考にしてください。


■今回訪れた場所

■ナウルまでのアクセスはこちら

■「.nr」ドメインの詳細はこちら

■「.biz.nr」ドメインの詳細はこちら

■「.com.nr」ドメインの詳細はこちら

■「.info.nr」ドメインの詳細はこちら

■「.net.nr」ドメインの詳細はこちら

■「.org.nr」ドメインの詳細はこちら